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  • 六供町前橋市群馬県日本

魂 のエッセイ

 

どうしてパクパクなの?

【ろうあ魂🔥伝統手話からの問い掛け】

「どうして、みんなは金魚のようにパクパクするの?」
「それは、口で声を出してお話をするからだよ」
幼い頃、私は両親に対してそんな質問をした。
不思議に思われるかもしれませんが、私の一家は、両親はじめ、兄弟のすべてがろう者であり、手話で会話する家族。
ところが、ろう学校に入ると、口話優先で、口話が出来ない人は、「人でなしだ!(出来損ないだ!)」と、とんでもない、間違ったことを教え込まされた時代だった!
周りの人たちからの無理解で、ひどい差別を受けていた。
ろうあ者である両親からは
「なあ、耳が聞こえなくても、声の代わりの言葉として、手話を生み出した昔のろうあ者はすごいじゃないか」
「聞こえる人と対等に勝負するためには、毎朝、新聞を良く読むこと!」
「キビキビと働くこと!知恵を働かせること!そして、何よりも思いやりの心を持つこと!」
こんな風に、ろうあ者であることに誇りを持てと、けして豊かではない生活の中でも、両親は私たち兄弟に言い続けた。
今、私は両親から、そして諸先輩方から、素晴らしい伝統手話と、ろうあ魂という精神を受け継ぎ、この地に生きている。

龍+耳『聾』

皆さん、「聾」という字の意味をご存知ですか?ある人のブログをみて読んだことを元にしてお話します。

◎耳の聞こえない人たち、つまり私たちのことを、「聾」(ろう)といいます。
この漢字を見てみますと、「耳」という字の上に「龍」
という漢字が書いてあります。(「龍」という字の下に「耳」という字が→「耳」という字の上に「龍」という字が、としてみました)

障害児の教育についてまとめられた江戸時代の「病名彙解」という本によると、
「聾は中国古代文字でミミシヒと読み、龍は角にて物音を聞いて、耳にては聞こえざるなり。故に耳の聞こえぬを龍の耳と書く。」という一文があるそうです。
また、「わずかな音でも聞き分けられるすぐれた耳を持っている人」という意味もあるそうです。
少し硬い文なので分かりにくいかもしれませんが、
ろうあ者である私なりに、超訳してみますと、「聞こえない人は、龍の角のような、すぐれた耳、つまり鋭い感覚を持つ人間という意味で「龍+耳」と書く。奇しくも、私のろうあの両親は、その子育ての中で「ろうあ者なのだから、音を頼るな!眼と五感と、鋭い勘を使いなさい」と口を酸っぱくして教えてくれました。これは、私には単なる偶然とは思えません。
そして、今、私たちろうあ者は、現に、その「龍の耳」の鋭い感覚と、私たちのことば「手話」を使って、皆さんと、こうしてお話しているわけです。

龍+耳『聾』続編

私は、私の活動を通じて、全国に公演や講演会で出向くことが多いです。その中で、感じることの一つに、「事務的な手話通訳者さんや手話通訳士さんが増えていないか」ということがあります。権力が有ったり、高学歴の依頼者(ろう者だったり、行政や主催者に)なると、すごく丁寧なのに、無力なろう者や、自分のように特に高学歴でも無い者に対して、事務的に接する通訳者が少し増えてきているように感じます。これは、全くの思い過ごしかもしれません。そうだとしたら、喜んで謝らせていただきたいですが、私としましては、通訳者にはやはり「心こそ大切である」ということを訴えていきたいです。
純粋な心を持った、フェアーな考え方をできる、ある意味、勇気を持った、手話を学ぶ人たちを応援したい気持ちがあります。

前回の龍+耳『聾』の件についてお話しましたら、思った以上に反響があり驚きました。本当に嬉しいです。
特に、難聴の方や聞こえる方から、「ろう(聾)の漢字は、本当にカッコいい」とか、「ろう者は羨ましい」という声をいただき、ろう者魂がくすぐられるように、ゾクッとしました。

「聾」者は「わずかな音でも聞き分けられる、すぐれた耳を持っている人」ということですから、それを、私としましては、更に(私の超訳では)、こう解釈したいと思います。つまり、「聾」者は、言葉にならない心の叫びを聴きつかむことの出来る人。そのような人が、龍の耳を持った人だと考えます。

皆さんは聞いたことがありますか?
以前は、難聴者、手話を学ぶ人々、手話通訳者は、「自分は、手話を使うからろう者(聾者)である」という言葉を良く使っていました。
最近は、残念ながら、こんな風に言う人が少なくなりました。難聴者は難聴者、手話サークルは手話サークル、手話通訳者は手話通訳者、という風に、はっきりと区別している流れが感じられます。ちょっとさみしい気持ちがありますが・・・
昔は、今とは少し違って、難聴の方はじめ、手話通訳を目指す人も手話通訳者もサークル会員も、自分もろう者になりたくて、ろう者と良く付き合い、ろう文化、ろう者の手話を身に付けようと、切磋琢磨していた時代がありました。
もちろん、聞こえる方は、どんなにしても、本当のろう者にはなれないわけですが、それでも、そんな心を持った人たちは、龍の耳の如く、ろう者の心を見つめて理解し、心から交流しようとしたことで、ろう者、つまり「龍の耳」を持ったといえるのではないでしょうか。彼らは、「龍の耳」持つ、ろう者の代弁者であると。
「龍の耳」を持った人は、相手の苦しみ、悩みを同苦できる人でもあり、そんな人がたくさん社会に増えたら、誰でもが助け合い、仲良く、素晴らしい明日につながると思います。
皆さんは、どうお考えでしょうか?

余談ですが、私としては、ろう者はもちろんですが、手話が出来る出来ない関係なく、心を大事にして、皆さんと交流させていただいております。まさしく龍の耳を持った同志の関係と言えましょう。
今後も、牧山は、一ろうあ者として、龍の眼光を少しでも明るく出来るように、日々努力していきたいと思います。

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